横浜地方裁判所 昭和40年(ワ)1576号 判決 1969年6月20日
原告 久保恵一
<ほか二名>
右三名訴訟代理人弁護士 今富博愛
同 黒柳和也
被告 浅場久蔵
右訴訟代理人弁護士 本橋政雄
被告 神奈川県
右代表者知事 津田文吾
右訴訟代理人弁護士 柳川澄
主文
一、被告神奈川県は、原告太田勝雄、岩崎好吉に対し、各金二〇、〇〇〇円およびこれら対する昭和四〇年一二月二六日から各支払済まで各年五分の割合による金員を支払え。
二、原告らの被告浅場久蔵に対する請求および原告太田勝雄、同岩崎好吉の被告神奈川県に対するその他の請求は、いずれもこれを棄却する。
三、原告らと被告浅場久蔵との間に生じた訴訟費用は原告らの負担とし、原告太田勝雄、同岩崎好吉と被告神奈川県との間に生じた訴訟費用はこれを四分し、その一を被告神奈川県の、その三を原告太田勝雄、同岩崎好吉の各負担とする。
四、この判決は、主文第一項に限り、仮に執行することができる。
事実
第一、原告三名訴訟代理人らは、「被告浅場は、原告久保に対し金六七三、三〇〇円、原告太田、同岩崎に対し各金一九〇、〇〇〇円および右各金員に対する昭和四〇年一二月二七日から支払済まで各年五分の割合による金員を支払え。被告神奈川県は、原告太田、同岩崎に対し各金一〇〇、〇〇〇円および右各金員に対する昭和四〇年一二月二六日から支払済まで各年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言を求め、その請求原因として、次のとおり述べた。
(被告浅場に対する請求について)
一、被告浅場は、昭和四〇年一一月二日神奈川県藤沢警察署管内鵠沼海岸駅前派出所で勤務中の警察官種市清美に対し、何ら原告から暴行を受けた事実がないのに、原告らは共謀のうえ、同日午前九時三〇分頃藤沢市本鵠沼三丁目一三番地二四号先空地で原告岩崎が道路補修工事をしていたことに注意した被告浅場と口論のすえ、同人を路上に押し倒し、交互に足蹴りにするなど暴行を加えた結果、同人に対し頭部挫傷、脳震盪症、頭部内出血の疑いによる全治三週間を要する傷害を与えた旨の虚偽の告訴をし、さらに同日引続いて藤沢警察署においても司法警察員渡辺昭二、二宮勲に対しても右同様の虚偽の告訴をして、原告らに対し捜査権を発動させ、不当に公権力を利用した。すなわち、
1、原告らは、いずれも左官職人であるが、前同日午前九時ころ、原告久保宅前の公道に水溜まりが出来たので原告久保、同岩崎の両名が補修していたところ、被告浅場が自転車に乗って通りかかり、右原告らに対し「人の家の道路を勝手にいじるな」と怒鳴りつけた。これに端を発し、原告久保との間に激しい口論となり、被告浅場は勝負しろと同人の胸倉を掴んだので、原告久保もつかみ返して両者もみ合った。しかし原告久保は殴るとか蹴るとかの行動には出ず、その場に居わせた原告岩崎も両者の間に割って入って制止し、また原告太田も庭先で両者の口論を聞いてかけつけ、両者の背後から声をかけて争いを止めたにすぎず、原告らが暴力を振うということは全くなかった。
なお、被告浅場は入院僅か二日で退院し、その後何らの異常もなく、レントゲン写真にも頭蓋内出血の形跡がなかったこと、脳震盪症はおそくとも三〇分以内に症状が表われるものであるが、被告浅場が卒倒したというのは約一時間後であったこと、また、頭部挫傷も外部からは診断できないものであるところ、本件においては医師は他人の証言を基にしてそのように診断したものにすぎないことなどからして、被告浅場は何らの傷害も受けていないことが明らかである。
2、ところが原告らは被告浅場の前記虚偽の告訴により、次のような捜査を受けた。
(一) 原告太田、同岩崎は、後記三のように現行犯逮捕されたが、逮捕手続が違法であるとして勾留請求が却下されたため一旦釈放された。しかし、直ちに横浜地方検察庁内で再び緊急逮捕され、翌五日から、同月一九日まで藤沢警察署留置場で被疑者として勾留され被告浅場の告訴事実につき取調べを受けたが、同月一六日いずれも嫌疑不十分として不起訴処分となり釈放された。
(二) 原告久保は、同月九日藤沢警察署警察官から被告浅場に対する傷害被疑事件で任意同行を求められこれに応じたが、同日同署内で逮捕状によって逮捕され翌一〇日から同月一六日まで神奈川県警察本部留置場内に被疑者として勾留され、被告浅場の告訴事実につき取調べを受けたが、同月一六日起訴猶予処分を受け釈放された。
3、原告らは、被告浅場の前記不当な公権力の利用により、次のような財産的損害を被った。
(一) 原告久保について
(イ) 同業者に対する作業依頼費 金三〇八、三〇〇円
原告久保は、左官職人四名と手許職人二名運転手一名を雇用して工事作業を行っていたところ、原告太田、同岩崎の前記のような勾留によって手許職人を欠き作業が停滞し、その間継続中の工事を小島左官工業および青木正彦らの同業者に依頼せざるを得なかった(内訳 小島左官工業分金四八、三〇〇円、青木正彦分金二六〇、〇〇〇円)、
(2) 損失材料費 金四〇、〇〇〇円
前記現行犯逮捕によってつた合わせ作業を中止したため無駄になった材料費である。
(3) 差入弁当代 金三〇、〇〇〇円
原告ら三名の勾留中、原告久保の出資で差入れた弁当代である。
(4) 自動車使用費 金四五、〇〇〇円
弁護人依頼および面会、継続中の作業依頼等に使用した自動車の使用代である(内訳 ガソリン代金一五、〇〇〇円、運転手へのお礼金 金三〇、〇〇〇円)。
(5) 弁護料 金五〇、〇〇〇円
前記被疑事件につき今富博愛弁護士に弁護を委任した費用である。
以上 合計 金四七三、三〇〇円
(二) 原告太田、同岩崎について
前記被疑事件につき今富弁護士に弁護を委任した弁護料各金四〇、〇〇〇円宛
4、原告らの慰藉料は、次のとおりである。
(一) 原告久保につき 金二〇〇、〇〇〇円
原告久保は昭和一三年生まれで昭和三六年頃から家業の左官業を継ぎ、扶養家族の六名を抱えているが、逮捕勾留中における継続工事の手配、家族に対する心配等による心労は大なるものがあり、その精神的苦痛に対する慰藉料としては金二〇〇、〇〇〇円が相当である。
(二) 原告太田、同岩崎につき各金一五〇、〇〇〇円宛
原告太田は、昭和一四年八月八日生まれで原告久保の妹婿にあたり、原告久保方で左官手許職人をしているが、妻子を有し、原告岩崎は、昭和一六年二月八日生れで原告久保方で左官手許職人をし独身であっていずれも違法または不当な逮捕勾留により受けた精神的苦痛は大であり、その慰藉料としては、各自金一五〇、〇〇〇円ずつが相当である。
二、よって前記不法行為に基づく損害賠償として、被告浅場に対し、原告久保は前記一3(一)、4(一)の各損害合計金六七三、三〇〇〇円、原告太田、同岩崎は、前記一3(二)、4(二)の各損害合計各自金一九〇、〇〇〇円ずつ、およびこれらに対する不法行為後である昭和四〇年一二月二七日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
(被告神奈川県に対する請求原因とその反論)
三、被告浅場から告訴を受けた被告神奈川県警察所属の藤沢警察署警察官渡辺昭二、二宮勲は、同日午前一一時ころ、原告久保方で左官つた合わせ作業中の原告太田、同岩崎に対し、身許も明らかで逃走や反抗もせず、誰からも犯人として追呼されていないのに「直ぐに来い」と申し向け、何ら刑事訴訟法第二一二条第二項第一号、第四号所定の要件を具備していないのにかかわらず、故意にまたは警察官として当然心得るべき職務上の注意義務を欠いた過失により原告太田、同岩崎の両名を準現行犯逮捕し(以下「本件準現行犯逮捕」という)昭和四〇年一一月二日午前一一時頃から同月四日午后四時頃まで藤沢警察署留置場内に身柄を拘束した。
四、原告太田、同岩崎は、本件準現行犯逮捕とそれに続く拘束により、身体の自由が侵害され精神的に苦痛を受けたので、その慰藉料額は、各金一〇〇、〇〇〇円ずつを以て相当とする。
五、よって原告太田、同岩崎は、被告神奈川県に対し、国家賠償法第一条にもとづく損害賠償として、前記四の慰藉料各金一〇〇、〇〇〇円ずつ、およびこれに対する不法行為後である昭和四〇年一二月二六日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
六、本件準現行犯逮捕は違法性がない旨の被告神奈川県の主張事実は争う。
第二、被告浅場訴訟代理人は「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする」との判決を求め、請求の原因に対する答弁ならびにその主張として次のとおり述べた。
一、請求原因事実一のうち、被告浅場が原告ら主張の日時に原告ら主張の内容の告訴をしたことは認めるが、その他の事実は争う。被告浅場は、原告らから殴る蹴るの暴行傷害を受けたものであって、その告訴は虚偽の事実の申立ではない。被告浅場は、原告ら主張の日時頃、原告久保方前公道上を自転車で通りかかったところ、原告久保、同岩崎が被告浅場方の生垣の根元を掘って原告久保の家の方へ砂をはね返していたので、被告浅場が「すぐ舗装するところだからそのままにしてくれ。」と言うと、原告久保が「何を生意気なこと言うな。」と言って被告浅場の胸倉をつかんで数回突きとばした。被告浅場は仰向けに倒れてしまったが、起き上ってくやしさの余り「やるならやれ」と言うと、原告久保が再び同被告の胸倉を突きはじめ、そのために三、四度突き倒されて仰向けになり後頭部を打った。原告岩崎、同太田はこれに加勢し、被告浅場の脚部を蹴飛ばしたので、老人である被告浅場は殺害されるやも知れないと考え、恐怖の余り直ちにその場を逃げ出して藤沢市鵠沼駅前派出所へ行き原告らの暴行の事実を告訴したものである。被告浅場は、藤沢警察署警察官とともに右現場へ引返す途中、先に受けた原告らからの暴行で頭部に外傷を受けたという精神的ショックのため、急に意識障害を起して卒倒し、直ちに救急車で辻堂湘南病院に運ばれ、頭部挫傷、脳震盪症、頭蓋内出血等で三日間の入院治療を受けた。
二、原告らのその余の請求原因事実は争う。
第三、被告神奈川県訴訟代理人は「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」旨の判決を求め、請求の原因に対する答弁ならびにその主張として次のように述べた。
一、原告ら請求原因三の事実のうち藤沢警察署警察官渡辺昭二、二宮勲が被告浅場の告訴に基づき被告太田、同岩崎を準現行犯人として逮捕し、右原告らの身柄を拘束したことは認めるが、その他の事実は争う。本件準現行犯逮捕について右渡辺、二宮には、故意過失がなかった。その事情は、後記三のとおりである。
二、原告ら請求原因四の事実は争う。
三、本件準現行犯逮捕には違法性がないから、被告神奈川県は、不法行為の責任を負わない。すなわち、原告太田、同岩崎は、同原告らに質問を発した警察官渡辺に対して反抗的気勢を見せ、暴行、傷害の点については否認し、同署に同行を求められるや仕事を放棄して逃走する気配を示した。このことは刑事訴訟法第二一二条第二項第一号の「犯人として追呼されているとき」または同項第四号の「誰何されて逃げようとするとき」に該当する。
そして、本件準現行犯逮捕は、事件後約一時間経過しているが、著しく長時間というわけではなく、しかも犯行後から逮捕に至るまでの手続は、継続かつ迅速に進行されている。被告浅場は、警察官とともに右現場に引返す途中、意識を喪失して卒倒した。この点から見ても傷害の事実につき明白な嫌疑があり、しかも被告浅場の警察官に対する供述により、原告太田、同岩崎らが現に犯人として特定追求され、同原告らは犯行現場附近に所在していた。現場の公道上には、被告浅場の供述に副う真新しい道路補修の痕跡があり、右原告らは、警察官の質問に対し、被告浅場と口論したとの点を認めた。これらの諸点を考慮すれば、それは刑事訴訟法第二一二条第二項所定の「罪を行い終ってから間がないと明らかに認められるとき」に該当するから、同法第二一三条でした逮捕は適法である。
第四、証拠≪省略≫
理由
第一、原告らの被告浅場に対する請求について
一、被告浅場が、原告らから何らの暴行傷害を受けた事実がないのに、虚偽の告訴をして捜査権を発動させ、不当に公権力の行使を利用した旨の原告ら主張について判断する。
被告浅場が昭和四〇年一一月二日午前一〇時頃、神奈川県藤沢警察署鵠沼海岸派出所警察官に対し、原告らから殴る蹴るの暴行を受け、傷害を負った旨告訴したことは当事者間に争いがない。
≪証拠省略≫を総合すれば、次の事実が認められる。
(一) 原告久保、同岩崎は、昭和四〇年一一月二日午前九時過ぎ頃藤沢市鵠沼三丁目二四番原告久保方前附近の公道の雨水の溜った箇所を補修するため右道路に接し、被告浅場所有敷地の生垣の根元附近にある土を取り、低くなった部分に埋めていたところ、同日午前九時一〇分頃、被告浅場が自転車で通りかかり、自転車を降りて原告久保に対し、自分の家の土を取るなと言ったところから同原告と激しい口論となり、互いに興奮して、被告浅場と原告久保は双方の胸倉をつかみ合い、原告久保はそのまま同被告を同原告方より斜め西向かいの竹内宅前附近まで押して行ってもみ合っていたところ、原告岩崎、久保みきえらがその気配を感じて右喧嘩の現場附近に至り、原告岩崎が原告久保に加勢して被告浅場を押した。その後も二人は大声でののしりながら、両手で互いに相手の肩や胸をつかんだり小突き合ったりを続けているうちに同被告は、押倒されて尻もちをついた。それまで、原告久保方庭先で左官材料の「つた合わせ」作業をしていた原告太田もこれを中止して右喧嘩の現場に至り、原告岩崎と共に同被告に対し「さっさとどっかへ行ってしまえ」と言い、突き放すようにして同被告久保から引き離した。
(二) 被告浅場は、同日午前九時三〇分頃、自転車に乗って前記派出所に行き告訴をしたが、その際同被告の顔は青ざめて興奮し、手には砂がつき着ていた印半てんの後の背中等が泥と砂で汚れており、これらを示したほかズボンをまくって前記押合いの際に受傷した膝小僧の下の直径約一センチメートル位の血のにじんだ擦過傷を示して、原告らが犯人であると説明した。
(三) 被告浅場は、警察官とともに現場へ引返す途中、同日午前一〇時三〇分頃、喧嘩をしたことの精神的ショック等から意識を喪失し、直ちに湘南中央病院に入院し、医師井上孟は脳震盪症等と診断したが、二日後の同月四日退院した。
≪証拠判断省略≫
ところで、およそ何らかの犯罪により被害を被った者は告訴をすることができ、犯罪事実を捜査機関に申告して犯人の訴追を求められることは刑事訴訟法第二三〇条に明定するところであるから、不当に告訴して捜査権を発動させ、これを利用する故意または過失がないかぎり不法行為を構成するものではない。右認定事実によると、被告浅場は現実に原告らと喧嘩のすえ右認定の暴行傷害を被ったものであるから、右告訴にあたり多少の誇張があったにせよ、告訴の方法、程度が社会的に不相当であるとはいえず、不当に捜査権を発動させ公権力の行使を利用しようとする故意または過失があったものということはできない。
二、したがって、その他の点につき判断するまでもなく、原告らが被告浅場に対し不当な告訴による公権力利用を理由として損害賠償を求める本訴請求は、理由がなく失当である。
第二、原告太田、同岩崎の被告神奈川県に対する請求について
一、神奈川県藤沢警察署警察官渡辺昭二、同二宮勲らが原告太田、同岩崎を現行犯逮捕するにつき故意または過失があった旨の原告太田、同岩崎の主張について判断する。
右警察官渡辺、二宮が、昭和四〇年一一月二日原告太田、同岩崎を被告浅場に対する傷害準現行犯人として逮捕したことは当事者間に争いがなく、≪証拠省略≫を総合すると、次の事実が認められる。
(一) 藤沢警察署鵠沼海岸派出所の種市巡査は、同日午前九時三〇分頃被告浅場から暴行傷害の告訴を受けてその要旨を聞き傷害被疑事件と認め、直ちに本署に電話連絡をしたが通じないので、被告浅場を自転車で本署に行かせ、自らは電車を利用してその后約一五分位して本署に至り、同署捜査第二係警察官渡辺昭二、二宮勲らに報告し、同警察官らは被告浅場の供述を聴き、これを原告ら三名の傷害被疑事件と認めた。そこで同警察官らは直ちに犯人逮捕のため被告浅場を伴ない徒歩で約一キロメートル位離れた原告久保方に向かったところ、途中本署より約二〇〇メートル位の地点で突然被告浅場が卒倒して意識不明となった。右二宮は被告浅場はその告訴した暴行傷害によって卒倒したものと判断し、直ちに本署へ引返し救急車の手配をしたうえ、ジープで右卒倒地点に戻り被告浅場を病院に収容する手続をした。
(二) 右渡辺、二宮と後から駆けつけて来た警察官小林覚郎が、同日午前一〇時三〇分過ぎ頃、現場である原告久保方に到着し、原告久保方庭先で左官材料の「つた合わせ」作業をしていた原告太田、同岩崎の両名に対し、被告浅場との争いの有無を尋ねたところ、右原告らは、「口論はしたが暴行は加えていない」と答え、右渡辺は「被告浅場が卒倒したので救急車で病院へ運んだ」と告げたところ、右原告らは「そのようなことのある筈がない。」と述べ、原告久保の所在を確めたところ原告久保は茨城へ行ったと言うので、右警察官らは同人はすでに逃走したものと考えた。また、被告浅場の述べるように公道の一部には土を寄せた跡があり、まだ乾いていなかった。同警察官らはこれらの点、右(一)の点から同原告らが被告浅場に傷害を加えたものと認定し、「一応事情を確めたいから本署まで来てくれ。」と言ったところ、二人は「そんなことで騙されて警察へ行けるか。」と述べてこれを拒否し、作業を止めて原告久保の家の方に歩いて行ったため、右渡辺は同原告らが逃走しようとしているものと認定した。同警察官らは被告浅場が卒倒するような傷害を与えた同原告らを放置できないし、前記状況から犯行後間もないものと認定して右原告らを準現行犯人として逮捕した。
(三) 右渡辺らは原告太田、同岩崎を、同年一一月二日午前一〇時五〇分頃から同年同月四日午後四時頃まで藤沢警察署留置場内に拘束した。
≪証拠判断省略≫
二、ところで、一般に警察官が人を準現行犯として逮捕するには、刑事訴訟法第二一二条第二項、第二一三条所定の要件事実を誤りなく認定して執行すべき職務上の注意義務を有する。右事実によると後述三のように被告神奈川県所属警察官渡辺昭二、二宮勲が原告太田、同岩崎を被告浅場傷害の準現行犯人として逮捕するための要件を具備しないことが明らかであるのに、これを充足するものと軽信して同原告らを逮捕し拘束した過失があるものというほかはない。
三、そこで本件準現行犯逮捕には違法性がない旨の被告神奈川県の主張について判断する。
一般に、現行犯人の逮捕については、刑事訴訟法第二一三条において何人も裁判官の発する令状によらないでこれを逮捕することができる旨定められているが、その趣旨は現行犯人の場合においては当該事件の具体的状況から見て何人でも誰が犯人であるかが一見明瞭であり、誰が即時に逮捕しても誤まりがないところから、憲法第三三条の令状主義の例外として承認されているのに過ぎない。そして刑事訴訟法第二一二条第二項の準現行犯の要件は、第一に同項第一号から第四号に該当する者であること、第二に罪を行い終ってから間がないと明らかに認められることである。第一の要件について被告神奈川県は、同項第一号、第四号の事実を挙げるが、前記(二)認定事実によると原告太田、同岩崎らはそのいずれにも該当せず、すでにこの点で要件を欠くものと言うのほかない。そればかりではなく、前記一、二認定事実によると、本件準現行犯逮捕は白昼犯行時から約一時間以上も経過した後に為され、右逮捕現場に被害者浅場が居ず、警察官渡辺らは同被告からの告訴だけを信じて原告太田、同岩崎らに質問を発し、同原告らは口論の点は認めたけれども暴行傷害の事実は否認し、右現場には被告浅場の卒倒の原因となる傷害を同原告らがしたと認められる明白な証拠は何もなかったのであるから、同原告らが傷害を行なってから間がないと誰の目にも一見疑いのない程明白であったとはいい難い。したがって右第二の要件も具備していないことになるから本件準現行犯逮捕は違法と言うほかはなく、この点に関する被告神奈川県の主張は失当である。
四、以上のとおりであるから、被告神奈川県は原告太田、同岩崎に対し、その所属警察官渡辺、二宮がその職務上の前記過失により本件準現行犯逮捕の上拘束し、それによって被らせた原告らの後記損害につき国家賠償法第一条により、これを賠償すべき義務があるというほかはない。
五、そこで右原告らの被った損害の額につき判断する。
≪証拠省略≫を総合すると次の事実が認められる。
原告太田、同岩崎はいずれも原告久保の左官手許職人として働き、原告太田は昭和一四年八月八日生れで家族に妻ふみ子、長男弘男(昭和三八年四月九日生)の二名を有している。原告岩崎は、昭和一六年二月八日生れで独身であるが父武平(大正二年一〇月二二日生)と同居している。右原告らは、前記逮捕の期間中職人として働けず、家族の者への悪影響を考えて心痛した。右認定を左右する証拠はない。
右の事実および本件準現行犯逮捕の違法性、その拘束の時間、その他本件にあらわれた諸般の事情を考慮すれば、原告太田、同岩崎の被った精神的苦痛に対する慰藉料は各金二〇、〇〇〇円ずつとするのが相当である。
六、以上のとおりであるから原告太田、同岩崎は被告神奈川県に対し、右慰藉料として各金二〇、〇〇〇円ずつ、およびこれに対する不法行為後の昭和四〇年一二月二六日(本件訴状送達の翌日であることが記録上明らかである)から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払請求権を有し、その限度において正当でその余の部分は失当である。
第三、結論
結局、原告らの被告浅場に対する本訴請求はいずれも失当として棄却を免れず、原告太田、同岩崎の被告神奈川県に対する本訴請求は前記説示の理由がある限度でこれを認容しその他の部分を棄却することとし、訴訟費用の負担につき、原告らと被告浅場間では民事訴訟法第八九条を、原告太田、同岩崎と被告神奈川県との間では同法第九二条本文、第八九条を、主文第一項の仮執行宣言につき同法第一九六条を各適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 吉田良正 裁判官 高木積夫 秋山賢三)